中学生の時に腐った死体を見たことがあるか

僕の転機は主に2つ。

「中学の時に父親が死んだこと」「高校を中退したこと」ではないかと思う。

略歴を書くと、

全日の高校を精神病が理由で半年で中途退学→療養のため通信制の高校に編入学→現在高3

これだけ書くとネガティブな内容に見えるかもしれません。

でも僕は今、人生がとても楽しい。

幼少期

幼少期は甘やかされて育ちました。

家族構成は両親と祖父母、ペットが2匹の一軒家。

祖父は退職していたが祖母はパート、両親はホテルに長年勤めていて、収入はそこそこ。

おもちゃやゲームをよく買ってもらえたし、祖父と父に猫可愛がりされていました。

そのせいかまるまると太っていたので、小学生くらいまではよくいじられていました。

東日本大震災の影響

東日本大震災の時、僕は小学5年生。

学校は早く終わったので、自転車に乗って友達と遊びに行くところでした。

そこで大きな地震

幸いこちらの方は津波による被害はほとんどなかった。

しかし父と母がリストラにあいました。

まあ父は透析患者で働ける時間が限られていたので、仕方ないかもしれない。

退職金は両親合わせて100万と少しだそうで、ある程度は暮らしていけるはずだったのですが、

このタイミングで祖母が借金していたことがわかり9割程消えました。

そのあとは貯金を切り崩しつつ職安に通い給付金を貰い生活。

母はスーパーでパートを始め、父は色々やってる航空会社のドライバーだと言っていてあまり仕事の話はしなかった。

この頃から両親の喧嘩が増え、父は毎晩怒鳴り母はそんな父に毎日

「死ねばいいのに」

と言ってさらに怒鳴られてたのを覚えています。

当時の僕はその声が怖かったので自室にこもりDS。

ポケモン太鼓の達人をイヤホンつけてプレイしながら、

「パパはお母さんがいないとほとんど生活できないんだから怒らなければいいのに」

とか思っていました。

母の事はすぐにお母さんと呼べたけど父の事をお父さんって言うのって結婚の挨拶みたいだなって小学2年生くらいから思っていて最後までパパでした。

中学時代

中学に入り部活動強制だったのでソフトテニス部に入りました。

理由は楽そうなのとテニプリ越前リョーマくん推しだから。

成績はそこそこでテストの順位は真ん中くらい、休日は部活とゲーム。

そんな生活を半年、祖父が死にました。

足が弱くて入院してたらそのままぽっくり逝ってしまったようで。

2回お見舞いに行ったんですけど2回目で僕のことを忘れていました。

看護師さんが、「お孫さんが来ましたよ」と声をかけても照れ臭そうに笑うだけ。

あんなに可愛がってたくせに孫の存在を忘れた挙句話し方まで忘れたか。

と当時の僕はそこそこショックだったので以降お見舞いにはいきませんでした。

まあその5ヵ月後の3月に父が死んだことの方がショックでしたが。

中学2年生になる前の僕が片足腐った父の死体を見て

父は透析患者だったのですが、透析患者は大人しくしていれば大体11年前後に死ぬと誰かから聞きました。

ちなみに父が透析患者になったのは僕が幼稚園の頃。

大体7年ですかね。

家族を支えるために死ぬ気で働いたら文字通り過労で病気の容態が悪化し死亡。

過労で足が弱っていたのに病院に掛からず、死体の右足が腐っていました。

祖父が死んだ時、父は祖父の死に顔を見て優しい顔をしていました。

悪態付きつつも自分の父ですから、思い出もたくさんあるのでしょう。

でも僕は父の死体の腐った右足をじっと見つめるだけ。

父は僕の幼い頃から働いてばっかりで、たまに休みが取れてお出かけしても小さい僕が落ち着きがないので怒られる。

家では母親に怒鳴り散らす、機嫌が悪ければ怒る、テストの結果を見て怒る。

ろくな思い出もなく逝ってしまったので当時の僕は死体を見ながら、

「人生ってなんだろう」

と考えていました。

迷走期

人生について考えていたら自分のやりたいことをしようという結論になり、

「声優の専門学校に行きたいから定時制の高校に行ってアルバイトして学費を貯める」

とか言い出しました。

それで母と教師を説き伏せ塾にも報告。

色々言われけど怖じ気ず言い返したら最終的には認めてくれました。

しかし夏休みに4校程見学に行ったらある私立高校に一目惚れ、

その後3回同じ高校を見学してそこに行きました。

一度目の高校生活

実は一番苦労したのは入学式かもしれない。

なんと父がいないからネクタイの結び方がわからないのです。

すぐYotubeでネクタイの結び方動画を見てどうにか会得、Google先生マジ感謝。

入学して色々やりました。

部活動は放送部、演劇部、合唱同好会に入り、夏休みはホームステイに行きました。

ついでにクラス委員長で、GWはクラスの女の子と遊びに行ったり、一番リア充してたかもしれない。

そんな中夏休みに祖母が死去。しかも通夜の日は関西に居る彼女に会いに行く日でバスの予約済み。母にお願いして僕は部活で忙しいことにして彼女を優先させていただきました。親不孝でごめんなさい。

そんなこんなで母と2人暮らしをしつつ学校生活を送っていたらある日当然事が起こった。

「身体が思ったように動かない」

その時は担任とそりが合わず口論したり、部活の大会が近く人間関係がギクシャクしながらもプレッシャーが付きまとう時期でした。

元々学校まで片道2時間、台本の読み込みで度重なる睡眠不足、僕のことをよく思わない人からの陰口、それでも仲の良い友達もいるし頑張ろう。そう思っていたのに。

その日は学校を休み病院で検査。

検査のために3日くらい学校を休むことになり身体に機器を取り付けてお風呂にも入れさせてもらえず再び病院。

身体に異常なし。

そして学校に復帰するも心臓が痛い。動悸やめまいがする。とにかく辛い。

そんなことから不登校に、テストだけは来るように言われたが行けず。

このままでは埒が明かないので学校の人間から逃げるように自主退学。

その後精神科での診断が、「双極性障害Ⅱ型」

2年間の療養

気分を変えようとコンビニでアルバイトをしてみましたがろくに出勤できない。

申し訳なくなり3ヵ月で辞めました。履歴書には4ヵ月働いてたとか書いてます。

高校だけは卒業しろと言われ通信制の高校に編入学。

その頃からブログに目覚め、

「これからは地方移住だ!地方移住ブログを書いてプロブロガーになろう!!」

と思いはてなブログとnoteを開設し、当時付き合っていた彼女が住む山口で一人暮らしを始めました。

結果上手くいかず3ヵ月で帰ってきます。

そのあとは年不相応な人生なのであまり書きたくないのですが、

女性関係で色々こじれたり、メンヘラとかセフレとか色々ただれた関係を経験し、一時期かえって病みました。

そのあとは学校の友人間でも色々あり、

「人間ってクソだな」

と思い人に依存すること、他人の評価を気にすることを辞めました。

それが功を奏しメンヘラを卒業、ODも睡眠導入剤も卒業し、通院も終わり無事完治しました。

これからが僕の人生の巻き返しです。

今現在

僕は今1年遅れの高校3年生になり、今は車の免許を取得するために教習所に通い、就活しています。

業界はIT志望で、webプログラマーになりたいと思っています。

何をやりたいかというより、ITは未来を創ると思ったのと、会社に依存しなくて済むスキルが欲しいのです。

会社に行けなくなってもプログラムを書ければフリーランスとして生きていけるし、フリーランスで生計を立てていければ費用を貯めて働きながら大学にいけるからです。

もしスキルが身につけば、スマートフォンのアプリとかゲームとか作ってみたいですし、少しAIについて勉強もしてみたいです。

VRもいいですね、VRchatとか導入したいのですがギアが高くて。

そんなこんなで人生色々ありましたが、今が楽しいしやりたいこともたくさんあるのです。

IT業界で働きたいし投資をして資産を得たいし学費を貯めて大学に行きたい、それから昔の夢を追ってみるのも楽しいかもしれないなと。

そんなことを考えられるのも、父が死んで自分の人生について真剣に考えるようになったことや、高校を中退して自分と向きあう時間が増えたからでしょう。

なのでそれが僕の人生の転機です。

長々と読んでくださりありがとうございました。

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